<東日本大震災>お墓にひなんします 南相馬の93歳自殺
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110709-00000012-mai-soci
平和ボケする事が多い自分だが、こういうのを見ると色々な事を考えさせられる。
93歳といえば大正の中くらいの生まれ。俺には85歳くらいの友達がいるので、その人の話をよく聞くが、戦前の日本は貧しくて今日食べる物にも困っている人が少なくなかったと言う。
幼くして両親を亡くしたその友人が育ち盛りの頃には、夜な夜なこっそりと隣近所の畑から作物を盗って空腹を満たしていた事もあったそうで。これの現代版がわざと軽犯罪でつかまって刑務所の世話になる行為なのかな。
今回の婆さんがどんな生い立ちだったのかは知らんけど、少なくともこういう時代を生き抜き、その後の戦争も経験して数日前まで生きていた婆さんだという事はわかる。
この人は93年生きてきて、本当に死のうと思った事がないから生きていたわけで。自らに置き換えると自害するのは今はちょっと考えられない。まあ自分が自分じゃなくなって、近辺の人の足手まといにしかならないくらいなら死にたいと思うかもしれないが、多分そうなった時には生きようとする本能の方が働いてしまって死ねないだろう。しかし、この記事が事実ならこの婆さんは自分で死のうと思って死ねたという事。お墓に避難だなんてジョークにもとれるような言葉を残している点からも、まだまだ頭も回っていて正気だったと考えられる。それが今回自殺・・・?
原発の事が原因での自殺みたいだが、今日この記事で「原発のせいでこの悲劇が起こった!国は何やってんだよ!」みたいな事を言うつもりは無し。今俺が考えたいのはもっと別の事。
この婆さんにとっては現世を生きる事が死よりもつらいことだった。しかも偶然による死ではなく、自殺よりもつらいと。加齢で体の自由が利かなくなってきているであろう中で、毎日いつ避難しなければいけなくかわからない恐怖に怯えながら、自分の子孫に少なからず負担をかけてしまう事を案じての死。これをどう捉えればいいのか。いや、捉えたいのかになるか。
婆さんの死の捉え方
もし、日本に原発が必要だと言うなら、今回の一連の被害も全部必要だと言っているも同然。正確には被害は’’必要’’ではなく’’必然’’と表現すべきなんだろうけど。いずれにしてもそのように受け取らざるを得ないと思う。制御しきれないものを制御できるようにするにあたっては、テストで改良していってから実用するのが望ましい。しかし、すでに実用しているので、それを改良していく以外の手段は無い。そして’’問題’’が起これば、医療なんかと同じでその犠牲が大きな発展を産むのだろう。
少なくとも今の日本政府を見る限り、’’原発は必要だけど、その犠牲はいらない’’等と言う資格はないように思う。仮に犠牲を防ぐ手段があったとしても、結局防げず実行できずなんだから、結果的には手段が無いのと変わらない。犠牲を防ぐ手段が無いんだから犠牲は必要と言ってるも同然。その上でまだ原発を広めようという人達がいるんだから、表立っては言えないものの、少なからず人殺しを伴う方針というか、今の日本国家は人を殺さずにはなし得ないという政策をとっている事になる。その犠牲が自分だったら、「電気の為に自分が死ぬというのはちょっと・・・」とためらってしまう。が!他人事のように言っている自分も日本国家の一部なわけで・・・その方針を支えている柱の一本という事に。
こうなるとどう整理すればいいのかわからなくなる。俺もこの婆さんの死に一役買っているという事になるんだから。まあそれは俺だけでもないし、婆さんの死だけでもないんだが。1億数千万分の1という力だが、日本国家に生きるすべての者は、日本国家のすべての死に関与しているんじゃないだろうか。
形式上は民主主義なんだし我々1人1人が決めた結果という事になる。でもなんだろう?1人1人だと全然力が足りないような無力感。仮に全員が同じ事を思ったとしても、取りまとめて実行する人がいなければ何も動かない。結局流れに身を任せて見過ごすしかない。だからせめて考えて理解する。婆さんの死の意味を。似た境遇を持つ人の気持ちを。
偏った解釈になるが、この婆さんは93年生きてきた中で、’’今’’が最もつらかったという事。戦争時代よりも最悪の時だったという事。それでも子孫を案じての行動ができた。自殺そのものは気の毒としか言いようが無いのだが、そこに含まれる意味(個人的な推測になるが)に敬意を感じずにはいられない。そしてこの婆さんに限らず、冷静に判断した結果として死を選びたくなるような人間が多く出ている現状に対してこのままでいいのか?と感じずにはいられない。
俺が何を考えようと、どんな事をしようと解決するような問題ではないし、亡くなった人を戻すこともできない。だが、婆さんの事を思い出せば、いつか誰かの手助けをできるかもしれない。
そんな事を考えるきっかけをくれた婆さんに感謝すると共に、ご冥福をお祈りいたします。