レッドフェアリー~変幻自在の変則3冠馬
(スノーフェアリー×カツトップエース)
生涯成績 14戦7勝(GⅠ5勝)
1.LPキャンペーン
レッドフェアリーの父親カツトップエース。本来なら種付けは難しいが、レジェンドポイントキャンペーンを使って1回きりの種付け権を手にしたメダルオーナーが相手に選んだのはスノーフェアリー。今や希少になりつつあるレッドゴット系の種牡馬を確立させたいという狙いがあったという。しかし生まれてきたのは・・・
2.期待はずれ
産み分けが上手い事で知られるメダル牧場だが、この時ばかりはさすがにショックを隠せなかった。種牡馬として期待されて生まれてきたその仔が牝馬だったからである。それでも聞こえてきたのは落胆の声ばかりではない。並んだら負けない根性、そしてどんなペースにも対応できる柔軟性と軽々トレーニングをこなす体力には目を見張るものがあった。
3.高い素質・・・しかし
メダル牧場における4S産駆の中でも高い素質を持っていたレッドフェアリーだが、致命的とも言える弱点も持っていた。瞬発力不足-牝馬としては大きめの500kgを越す馬体のせいもあってかいわゆる’ズブイ’タイプの馬だった事、そして左回りを苦手としていた事などがあげられる。これらは調教過程において解消されていくのだが、決して楽なものではなかった。
4.克服
瞬発力不足の解消の為に陣営がとった作戦は徹底的な併せ馬。レッドフェアリーが入厩した頃、一つ上の同僚馬ハッピーボーナスが抜群の瞬発力で桜花賞をやNHKマイルカップといったGⅠタイトルを手にしていた。しかし当時のハッピーボーナスは、さらに一つ上のゴッドバードと併せられていた。そこでとられたのが3頭を交互に併せていく方法である。年上2頭との限界を超える特訓。この甲斐もあってレッドフェアリーはハッピービーナスから瞬発力を、ゴッドバードからは力強い走りを教わる事ができたという。
5.デビュー
距離的に長いところが向いていると見られていたレッドフェアリーはこの時すでにオークスを意識して仕上げられていた。8月4週秋華競馬場の芝2400m新馬戦。勝つには勝ったがクビ差辛勝。後方待機策から直線一気だったが、やはり手前を変える際にモタつくところが出ていた。クラシックの有力候補というにはあまりにも平凡な走り。ただこの結果は鞍乗がデビュー後間もないメダールであり、お世辞にもベストな騎乗とは言い難かった事も考慮しなくてはならない。
6.鞍乗変更
その後はダートも使いつつ中距離戦線に出走して3戦0勝。結局2歳時は4戦1勝という成績に終わり、メダールは降ろされる事となった。そうして迎えた3歳初戦。代わりに選ばれたのはハッピーボーナスの活躍で売り出し中の福永洋十だった。1月2週優駿競馬場ダート2400m500万下、鞍乗を変えて必勝で臨んだレース。しかしこのレースでクビ差2着に敗れてしまう。「やはり左回り(オークス)は駄目なのか?」メダルがそう思うのも無理はないが、このレースの勝利馬が後にベルモントステークスを制する事になるラブリーエンジェルなのだから仕方がない。ただ、この時点ではそんな事が予想できるはずもなく、陣営の落胆は想像以上に大きいものだったという。
7.変わり身
想定外の完敗から数週間。調教中のレッドフェアリーを見た調教師が’’ある変化’’に気が付き、メダル氏へ報告する。「左回りのコースでもスムーズに手前を変えていました。この感じならもう大丈夫でしょう。」苦手と知りながら敢えて左回りのレースを使ったのが幸いしたのかレッドフェアリーは弱点を克服したのだ。
8.奇策
2月4週優駿競馬場ダート1200m。これまで中・長距離専門だったレッドフェアリーにとってかなり短く、周囲からは当然反対の声もあったという。かの3冠馬ナリタブライアンが高松宮記念に出走したのは有名な話だが、ブライアンは2歳時に経験している距離であったのに対し、レッドフェアリーの場合は初経験。この当時を振り返ってメダル氏が語ってくれた。「正直あせっていました。クラシック第1段の桜花賞まで1ヶ月半。しかしこの時のレッドはまだ500万下の条件馬に過ぎなかったのです。早く賞金を積んで出走権を取りたいという想いがありました。」
結果的にこの作戦は裏目に出る。やはりレッドフェアリーにとって1200mは短すぎたのだ。この敗戦によって陣営は桜花賞を諦めた。
9.岐路
3月2週の皐月競馬場。ここで行われた3歳500万下がレッドフェアリーの競争人生最大の岐路といっても過言ではない。3着までが同タイムという大接戦を持ち前の不屈の闘志でアタマ差制したレッドフェアリー。牡馬を退けての価値ある勝利であり、陣営にとっては皐月賞でも勝負できるという自信にも繋がった。
10.不敵
この年の皐月賞は不良馬場となった。力のいる馬場を得意とするレッドフェアリーにはうってつけ。最後方からレースを進めたレッドフェアリーは4コーナー手前からスパートをかけ、大外一気で全馬を差しきるという圧巻の走りを見せた。続くオークスも不良馬場。このレースも皐月賞同様と思われたが、後方待機策が災いし、内に包まれて進路が思うようにとれない。直線に入っても前が開かず、このまま終わってしまうのかと思われたその時だった。レッドフェアリーは持ち前の勝負根性で強引に外をこじ開けて前を開けた。そのまま一気に進出し、終わってみれば2着に1馬身と1/4の差をつけ、悲願のオークスを制覇した。
オークスのゴール板を先頭で駆け抜けるレッドフェアリー
11.最強対決
持ち前の体力を武器に夏も使われる事になったレッドフェアリーは宝塚記念への出走が決まったが、この年の宝塚記念は豪華なメンバーが揃っていた。大本命はGⅠ3つ含む6連勝中のプラズマエンジェル。前年の覇者で天皇賞春を制覇して勢いに乗るビセンテ。同じく前年の皐月賞馬トキカムイにこの年のダービー2着馬ドドスコスコスコ等サーバー開設以来最高の顔ぶれと言っても過言ではなかった。レースでは前走までと一転して先行策。直線での不利を防ぐ為だったが、これが裏目に出てしまう。先行する馬が多く中々内へ入れなかったのだ。終始外を回されたレッドフェアリーは、経済コースを回って直線に入っても余力十分なプラズマエンジェルを交わせない。こうなると武器は持ち前の勝負根性しかない。必至で喰らい付き、ゴール前数十メートルでわずかに体制が入れかわったところがゴール。2.09.1の世界レコード決着となった。
後に関係者は語った。「最後は斤量の差が出たように思います。力では(プラズマエンジェルと)ほぼ互角でした。」3歳牝馬のレッドフェアリーは全出走馬中最も軽い51kg。対するプラズマエンジェルは56kgであり、アタマ差という着差を考えれば、斤量の差という見方も間違いではないだろう。いずれにせよレッドフェアリーはこの時点の中距離界最強馬になった。
12.海外挑戦と休養
宝塚記念を制したレッドフェアリーはKジョージ&Qエリザベス2世Sに挑戦した。しかし結果は5着惨敗。宝塚記念の反動で万全の仕上げができなかった事とレースで不利を受けた事が原因とされている。この敗戦を受けて凱旋門賞挑戦のプランが白紙になり、休養を挟んで秋華賞で変則3冠を目指す事となった。
13.偉業
秋華賞はレッドフェアリー以外のGⅠ馬が、桜花賞馬でオークス3着のアオイハイビスカス一頭しかいない上に15頭立てというレースになった。先行策をとるようになったレッドフェアリーにとって絶好の2番枠。3、4番手からレースを進め、残り300mでゴーサインが出されるとあっという間に先頭に立ち、他の馬に詰め寄られる事無く1.55.3で圧勝。皐月賞、オークス、秋華賞の変則3冠をレコードで飾った。
次走のエリザベス女王杯では抜群のスタートからハナを奪うとそのまま逃げに出た。レースは平均ペースで進み、そのまま先頭を譲らずに逃げ切りとも思われたが、4コーナーで他馬に先頭を譲ってしまう。さらに後ろの馬も次々と襲いかかるが直線に入って仕掛けられると再び伸びを見せて完勝。世代最強牝馬である事を証明して見せた。
14.引退
その後は有馬記念に出走するも、距離が長かったのか見せ場のない7着に沈んでしまう。結局これがラストランとなり、ターフを去った。これだけの実績がありながらも一番人気になったのは新馬戦とエリザベス女王杯の2回だけ。GⅡやGⅢには一度も出走せず、勝つ時はどんな位置でレースをしても圧勝、負ける時は不可解な大敗が多かったレッドフェアリー。その外見もレースぶりからも’’赤い妖精’’というイメージがピッタリとはまる記憶を残していった。
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