紳介さんが突然の引退という事で朝のニュースも昼のワイドショーもほぼそれ一色です。
業界に詳しくないのでわかりませんが、個人的にはもっと伝えてほしい事があるんですよね。確かに世の中の関心は高いし見ていない人は一刻も早く見たいニュースだと思います。そういう意味では視聴者のニーズに応えているのかもしれませんが・・・。
ここで言いたいのは、この報道姿勢に関して’’はたして誰が得をするのか’’という事です。
自分を含めて世間の興味はどうしても今回の関連ニュースに向いてますし、スポンサーが重要なわけですから、数字をとれそうな放送をするのが大事なのはわかりますけど、この辺りは良くも悪くもテレビといったところですかね。
それはさておき、どの局も昨夜の会見の様子を流していて自分も見ました。なるほど・・・という感じですが、数年間の想いや事実を数十分で語りつくせるものじゃないです。
規模としては 1億:100 の対比にすると、100万分の1かあるいは200万分の1くらいでしょうか。こうして誰もが見る事のできる場で表現をしている身の意見ですが、言葉で伝えられる事は極わずかです。視聴者(ここでいう訪問者)は、発信者のわずかな発言等を基に肉付けして事実を作っていきますが、それが真実に辿り着く事はまずないでしょう。
そもそもあの局面で真実がすべて語られるとは思い難いですし、嘘を言わない=真実を語ったという事にはならないわけですが。所詮言葉の端々から推測していく事しかできないんだから、真相解明だの追及だのといって世間(視聴者)をこのニュースに引き込んでいくのは日本の為になるのか?と思うんですよね。日本の事を想うなら今考えるべきは今後の芸能界と暴力団の関係について、ではなく、日本の今後(政治や復興)についてでしょう。それに比べたら1芸人の行動の真相を知る事にどんな価値があるのか、と思います。
テレビ局が(いろんな意味で)日本の為に頑張る事を第1の目的にしているわけではない証明ですね。
’’テレビ局というのは我々の為に存在しているものではない’’
これはテレビ局だけではなく、世の中の人や物すべてに言える事でですが、自分の為に存在している(た)のは自立するまで育ててくれた親、あるいはその近辺の存在くらいだと思います。他のすべての存在は、’’存在が自分の為になっている’’あるいは’’存在を有効活用していく’’というのが真に近い表現なんじゃないでしょうか。
最近の例で気になるのが、何かと「被災地の為に」とか「被災地に勇気を」とつけて報道することですね。もちろん被災地の為の行動は大事だし、行動している人はすばらしいと思いますが、報道時にその言葉をつける事でせっかくの善意が恩着せがましく安っぽいものになってしまっているように思えてしまうんですよね。
例えばスポーツの報道。被災地に勇気を与える~の典型になりますが、みんな被災地の為に練習してきたわけじゃないでしょう。自分の為、自分達の為にやってきた成果を見てもらった結果、受け手がどう見るかという話。チャリティ関連はその限りではないですが、重要なのは’’被災地に勇気を送ったかどうか、ではなく、被災者が勇気を持てたかどうか’’の話。なぜそこを重点的に報道しないのか。
それを象徴するかのように、「為になった」とか「勇気をもらった」という被災者の声は、送る側のそれに比べてあまり見る機会がありません。それどころか、テレビに出てくる被災者は大概、勇気と希望を持って一生懸命生きている強い人に見えるし、むしろ勇気をもらっているのは自分(視聴者)だとさえ思えてくる程たくましいです。
本当に支援(報道も)が必要な程深刻な状況にあるのは補償問題(地域・場所の線引き、金額、期間)とか復興の悩みを抱えている人達なわけで・・・
毎度の事ながら、考えながら感情そのままに書いているので、大分ごちゃついてきましたw整理します。
「自分の行動が被災者の為になってくれれば」という共通のテーマがあるのはわかりますが、行動と報道は別だと思います。望んでいるかどうかもわからない事を被災者の為、と謳うなら人によっては恩の押し売りと感じる事でしょう。気持ちの面で応援するのは当たり前だし、それはすでに十分届いていると思います。後は望みを聞いてあげて初めて’’被災者の為に’’と言えるんじゃないでしょうか。
報道されるのは大概、悲惨な現状とそれに立ち向かう形のドキュメンタりーで、とにかく被災者の要望や意見等が流れる機会が少なすぎます。先ほど触れた様な補償問題にしてもそうだけど、もっとしつこく具体的にやっていけば、見た人達から何か良い案が出てくるかもしれないし、要望や問題点が大々的かつ継続的に報道されれば、きっとそれに添った動きをする人も出てくるんじゃないでしょうか。専門家の意見ではなく、被災者の本当の声を流した方がいい段階に来てるんじゃないかって事です。
まとめると、「テレビは視聴率をとることが主軸になっている(ビジネス)」という事を忘れてはいけないと言いたいわけです。映っている人の為に!というのは稀だったり2の次な事がほとんどです。(ちなみにそれが悪い事とは言いません。)
しかし、見る側がテレビ通りの思考になるのは望ましくないのではないだろうか?という事ですね。
今、我々が考えるべき事、知るべき事は何か。情報に流されるのではなく、情報を泳いで目的の場所へ。その場所は少なくとも芸能人がどうのこうのじゃないはず。そんな事に気をとられている間に裏でとんでもない人事や法案が進んでいくのが今の日本です。テレビがどんな状況でも自分を見失ってはいけないと改めて思います。
PR